04.22.10:12
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02.27.03:46
キャロル レーシング Act.1
来莉夢 「美留来くん、いよいよこの工場も操業開始じゃ。よろしく頼むぞ。」
美留来 「了解しました。工場長。」
来莉夢 「早速じゃが、来夢音殿より以来品が届いておる。」
美留来 「これは、マツダ キャロルレーシングですね。」
来莉夢 「そうじゃ。キットは、アリイの1/32でパーツも少なく初心者にはいいじゃろう。」
美留来 「わぁ、早速組み立てましょうよ 工場長。」
来莉夢 「慌てるでない。まずは、マツダ キャロルについて勉強しようではないか。」
美留来 「そうですね。まず、つくる車について知っていた方が楽しさも増しますしね。」
マツダ キャロル(初代) KPDA型
製造期間 1962~1970
乗車定員 4人
エンジン 358cc 直4
1962年製造開始。4サイクルOHV360cc直列4気筒水冷アルミシリンダーエンジンをリアに積む後輪駆動車。
水冷、4気筒、OHVというエンジンは当時の軽自動車としては非常に贅沢なものであったが、これは排気量を拡大し、小型車(ファミリア)への搭載を念頭に置いてのことであった。
当初は2ドアが、翌年の1963年にデラックス仕様車の4ドアが発売され大ヒットした。全幅は1m30cm前後と狭く、現在の感覚ではかなり窮屈な乗車姿勢を強いられる。モデル末期には1ローター仕様のロータリーエンジン搭載の計画もあったが、排気量換算上の出力のクレームが当時の運輸省ないし、他メーカーとの兼ね合いにて許可が下りず、試作もされたがエンジン振動自体が大きい、燃費等のデメリット、1ローターだと逆作用の力が加わってしまうとローターが逆回転してしまう等もあり問題は克服したが計画は実現しなかった。
後継車はREでの発売が頓挫したことから名を変えたシャンテ。
独特のクリフカット屋根から取ってついた別名が「走るぜっぺき頭」。
チューンショップRE雨宮が当時のオマージュなのか12A型3ローターターボエンジンを換装したRE雨宮シャンテを製作しており、一時期話題になっていた。
1962年11月には、600ccのエンジンを持つキャロル600(1960年代当時の軽自動車規格は総排気量は360cc以下であり、小型登録車規格扱いだった)も発売された。
軽規格のキャロル360に先駆けて4ドアを発売した。
前年にモーターショーに出展されたマツダ700をベースに開発された。
キャロル600は1963年3月9日にマツダ100万台目の生産車にもなっている。ファミリアの製造開始より、2年ほどで製造終了した。 <フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照>
美留来 「あと、工場長。箱にも少し書いてありますね。」
第2回日本グランプリ
1964年5月3日カラリと晴れあがった日曜日、鈴鹿サーキットで400cc以下によるT-1クラスのレースが行われた。
マツダキャロルは出走15台中3台出場し、結果はスズライト、フロンテと同タイムの24’23”8だったが、写真判定の結果おしくも無念の涙をのんで4位となった。
美留来 「昔は、軽自動車のレースも活発的だったんですね。」
来莉夢 「そうじゃ。ではでは、部品を並べてみてくれたまえ。」
美留来 「楽しみですね。」
来莉夢 「まずは、タイヤあたりからの作業じゃが。。。この工場もできたばかりで塗料が一つもないんじゃ。
今日、来夢音殿が名古屋へ行くそうじゃから調達して来てもらうとするかの。それまで休憩とする
か。」
美留来 「コーヒーでも入れますよ。」
つづく。